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福岡県久留米市田主丸町にある鷹取山(802m)に登って来ました。 北麓の平原古墳群公園の駐車場に車を止めてから尾根道を辿ること約2時間後、 ようやく山頂にたどり着くことができました。 さすが水縄断層によってできた山地。 北斜面は屏風山との異名をとるくらい切り立っています。 そしてこの山の山頂は星野氏の居城である鷹取城跡となっています。 郭の平坦が何段かあり、土塁や竪堀も良く残っていました。 さて、ここに登って来たのは他でもありません。 筑後の経塚の調査のためです。 筑後地方の霊山として石垣山と高良山の名前がよく挙げられます。 有名な石垣山観音寺はこの鷹取山の北麓にあり、 筑後では最も多くの経塚が造営された場所でもあります。 この観音寺と鷹取山の中腹には鷹取山城の支城である石垣山城があり、 中世の文書でも石垣山合戦という山城の攻防戦の記事がでてきます。 鷹取山は、耳納山地で最も高い山であり、この山頂からの眺めはすばらしいものがあります。 北東方向約30km先には、修験道で有名な英彦山(1,200m)、 同じく北西約30km先には、宝満山(829m)、 西北西約40km先には、背振山(1,055m)、が見通せます。 この山々はいずれも山頂などに経塚が営まれる霊山なのです。 このような風景の中に立つと、 これらの経塚を擁する山々を結ぶ北部九州霊山群とでも呼べるような連鎖の中に、 筑後の代表として位置を占めているような気がします。 また、登山口から石垣神社方面に抜ける谷には、大規模な平原古墳群をはじめ、 6世紀後半の前方後円墳としては、九州一の規模を誇る田主丸大塚古墳があり、 さらに下ると石垣観音寺が存在する。 これらはちょうど鷹取山の山頂から一直線上に分布しています。 単なる偶然とも思えず、あるいはいにしえからこの耳納山地で最も高いこの山への崇敬と信仰というものがあったのではないかと考える次第です。 そうなればこそ、鷹取山々麓の観音寺への経筒の集中的な埋納というものが理解できるのではないでしょうか。 これは想像に過ぎませんが、経塚は麓の観音寺だけでなく、 山頂の鷹取山、中腹の石垣山、平原古墳群のいずれかや田主丸大塚古墳の墳頂部などにもあってもいいような気がします。 『寛延記』などによると、観音寺周辺には13ヶ所の寺を擁していることがわかります。 坊名には区画道路を示す「○○小路」などという名称も見られますから、 考えるに、あるいは筑後における天台勢力の一大拠点として、境内都市とでも呼べそうな景観を形成していたのでしょう。 しかし、近世には山津波の被害を受けるなどしており、これら寺社群の実態は不明です。 そして石垣山も鷹取山も、中世段階で山城が築かれており、 あるいは存在したとしても破壊されているものと思われます。 山頂経塚の存在について確かめることは、不可能に近いようです。 こういう状況ですから、この点については残念ながら想像のまま終わりそうです。
by tarov-e-log
| 2007-11-23 23:59
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